小学4年生の頃から教会の日曜学校に通っていました。
オルガンの周りで賛美歌を歌うのが好きになり、初めて英語を習ったのも十字架の前でした。
そして日本史を勉強する年齢になって思ってこと
「なぜキリシタンを見つけだすのに踏み絵など使ったんだろう?」
私だったら
踏み絵そのものは神様ではなく、モノに過ぎない
心の信仰は誰に明かさなくとも神様はご存知だ
生き延びて布教に努めたほうが賢明だ
と考えて迷わず踏めるのに・・と、若い頃はとても不思議でした。
生きること
生き延びて何かを成し遂げたり、伝えたりすること
いつの世だってそれは大切なハズなのだけれど
信じるもののためにすべてを手放すこと
それだけの愛を 何かにあるいは誰かに抱けること
そして それを隠さなかったゆえに死ぬることは
立派に生きて命を全うするに等しい価値があるのではないかと
思うようになったのは、やはり年齢のせい?(笑)
今では"神様"を 愛やワンネス 目に見えない偉大なもの、といった概念に置き換えていますが
宗教を持たなくても、信心深い人間でありたいと思っています。そして、祈りのパワーを信じています。
怒りや嫉妬、束縛といったネガティブな感情や行為もまた愛情の裏返しだと思いますが
見ないふりをしたり否定したりせず
これらが自分の中に存在することを認め、とことん感じたうえで
「手放すこと」
これが私の人生後半のテーマのように思えるのです・・。
Jesus, Take The Wheel / Carrie Underwood